昨日『華麗なるギャツビー』のレビューを書きました。

『華麗なるギャツビー』は演出過剰だが美しい映画

この作品、原作はアメリカ人、いやそれだけでなく英語で書かれた文学作品の中でも多大な評価を得ています。

でも、映画も観ておらず、小説も読んでいない人にとっては興味がないところかと思うので、少しテーマを広げて書きたいと思います。

というわけで、アメリカンドリームについて。

以前、アメリカ文学研究者の都甲幸治さんの講演会に行ってきました。
このことは、別のネタと合わせて、ちょっとだけ書きました。

若いことは素晴らしいことなのか?

アメリカ人は若さを尊ぶ傾向が強い。
伝統的な日本人のように「人間は歳を重ねることで成熟し、完成していく」という発想は薄い。

ギャツビーのセリフに「過去は取り戻せる」というのがあります。

狂言回し役のニックの「過去は取り戻せない」というセリフに抗ってこう言うのですが、都甲先生によると、このギャツビーセリフにはアメリカ人のメンタリティーが色濃く表れているんだそうです。

過去は取り戻せるし、人はいつまでも若く留まり、いつまでもチャレンジし続けることができる。

『グレートギャツビー』では、最後にニックがこのように語ります。

ギャツビーはその緑色の光を信じ、ぼくらの進む前を年々先へ先へと後退してゆく狂騒的な未来を信じていた。
(中略)
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。

(野崎孝訳)

映画を観て、原作を読んでも「緑色の光」というのが何なのか良くわかりませんでした。

一義的には、元恋人のデイジーのことなのかな? と思うのですが・・・
実は、オランダ人がはじめて新大陸に到達したときに見た陸地の「緑」と繋がっているんだそうです。

そういう視点から読み直すと、この最後の一節は「ギャツビーはアメリカンドリームを実現したかと思った矢先に破滅したが、僕たち(他のアメリカ人)はアメリカンドリームを実現するために進み続ける」という風にも解釈できます。

もちろん、優れた文学作品は多様な読みが可能なものなので、これも皮相な解釈に過ぎないとは思うのですが。

日本は1980年代バブルをピークに、衰退傾向にあるかと思いますが、アメリカというのはリーマンショックがあっても、長期的に見れば、依然として右肩上がりです。

いまだにアメリカンドリームを信じているのかもしれません。

日本とアメリカでは、だいぶメンタリティーが違うのかな?と思います。

『グレートギャツビー』(あるいは『華麗なるギャツビー』)は、日本人にとっても十分に面白い作品ではあります。
でも、僕からすると、なぜ本作がこんなに高く評価され続けているのか、正直良くわかりませんでした。
村上春樹も最も影響を受けた3作品のひとつに入れてたりしますが。

さらなる繁栄を求めて節操なく走り続ける人々の姿。
その先頭を走っているかに見える男の孤独と破滅。
その姿がアメリカ人だけではなく、現代に生きる人々に対して訴えかけるところが多いのでしょうね。

現代日本でも、アメリカ型の経済を是とする人が増えている気がしますが、繁栄と引き換えに、孤独やコンプレックスも抱え込まざるを得なくなると思いますね。


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