『フィガロの結婚』のレビューと前後してしまいますが、こちらの方を先に観てました、
ヴェルディのオペラ『オテロ』です。
またもや、Z席(当日20席だけ売り出される格安の席)が取れてしまいました!
だいぶコツがつかめてきた感じがします。
今回は、近隣に空席があったので、もしかすると、席は余っていたのかも。
原作はシェイクスピアの四大悲劇のひとつ『オセロ』です。
舞台はヴェネチア共和国統治下のキプロス。
軍人であるオテロ(オセロ)が、キャシオーを副官に昇進させたんですが、それに嫉妬した旗手イアーゴーが、オテロを罠にはめて、オテロの愛妻デズデモーナがキャシオーと不倫しているかに見せかける。
嫉妬に狂ったオテロはデズデモーナを殺害。
その直後に真実を知ったオテロは自害する。
原作は高校生くらいの時に読んでいたのですが、あまりピンと来なかったですね。
登場人物に感情移入できなかったからだと思います。
大人になってみると、良くわかります。
嫉妬とか、男女の愛憎とか、権力欲とか、人間のナマの感情が渦巻いていて、なおかつ人種問題の要素も入っている。
現代にも通じる要素がたくさんあります。
不朽の名作と言って良いでしょう。
イアーゴは悪の権化として有名なキャラクターんですが、単純な悪ではなくて、人間が持つ、負の感情を体現した感がある。
『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐しかりなんですが、嫌いながらも自分と重ねてしまうところがあるんですよね。
改めて思うんですが、イアーゴは別の人格ではなく、オセロの心の中に巣くう闇の感情とも解釈できるんじゃないかな。
ある意味、自分の影のようなものなんですよね。
だからこそ、オセロはそれを信じ、翻弄されて、破滅にまで至ってしまう。
オセロの心の弱さが招いた悲劇ともいます(その弱さは誰にもあるものですが)。
単純な善悪の対立ではなくて、人間の心の葛藤がメインテーマになっていると思います。
さて、英語の戯曲がイタリアオペラに仕立てられたわけですが、舞台がヴェネチア共和国統治下のキプロスなんで、ホームグラウンドに戻ってきたことになります(!?)。
「オテロ」というタイトルでイタリア語で上演された方がより自然なのかも・・・
ただ、正直シェイクスピア作品をオペラにすることの難しさは感じてしまいましたね。
シェイクスピア劇は内省的な要素が多くて、オペラとしての盛り上がりを作っていくのは難しい感はあります。
オペラの作品の質は、原作の良し悪しとは関係ないと言われるゆえんです。
本作では、ヴェルディはうまく処理はしているとは思うんですけど、音楽より物語の方に意識が行ってしまいがちになるというか・・
実際『ルチア』の時ほどの圧巻な感じはしなかったんですが、とても見応えはあったのはたしかです。
十分に予習して、事前に音楽を聴き込んでおかなかったのが良くなかったですねえ・・・