昨日書きそびれたのでレビューしておきます。

新国立劇場小劇場の「月・こうこう 風・そうそう」

月こうこう風そうそう

新作演劇って、ほとんど見ないのですが、今回は特別です。

別役実という劇作家がいます。
「サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者である」とWikipediaに出ています。

かなり前(四半世紀くらい)になりますが、NHKで別役実の舞台をやっていたのを観たことがあるんですよね。
その作品(名前は忘れた)がすごく面白かったので、いずれ生で観たいなあ・・・と思っていたんです。
でも、人生におけるプライオリティーはさほど高くはなかったせいで、これまで実現せず仕舞いでした。

ちなみに、当時はこの方のエッセイも結構読んでました。
宮沢章夫といい、劇作家のエッセイは視点が独特で面白いものが多いという印象があります。

さて、今回新作が上演されるということで、たまたま予定も空いていた(空けたというのが正しいかも)ので、観劇に行くことにした次第。

別役作品は不条理演劇とは言っても、だいたいが理解可能で、その中に理解不能な要素が入り込んでくる・・・というイメージを持っていました。
過去の乏しい記憶から勝手にそう思い込んでいるに過ぎませんが。

で、本作はどうかというと・・・
だいぶ理解不能でした

かぐや姫伝説をモチーフにしているとのことですが・・・

別役作品って、原典が存在するものも多いですが、ストーリーも雰囲気も全く違った作品に変貌を遂げてしまうんですよね。
ピカソの古典絵画をモチーフにした作品が、原典と全く違ったものになってしまうのと似ています。

ただ、原典のコアとなる要素は生かされていると言えば生かされている。

本作も、おじいさんとおばあさんが竹やぶでお姫様とあったり、ミカドが出てきたりするというのは同じです。
でも、それぞれの役柄が良く分からないんですよね。
おじいさんとおばあさんは、自殺するために竹やぶに来ているんだけど、いつまでも自殺しないとか・・・
かぐや姫にしても、竹から生まれるのではなく、何者かに追われて逃げてくる。

登場人物の出自が、明らかではないんですよね。
さらに、登場人物のそれぞれが向かおうとしている方向も良く分からない。
簡単に言ってしまうと、「アイデンティティの喪失」ってことかと思うんですが・・・

結末をみると、「かぐや姫」というよりは、「オイディプス王」という感じもします。

公演の後にシアタートークがあって、そっちにも参加しました。
演出家の宮田慶子さんと、出演された4名の女優さんが登壇。
宮田さんも、俳優さんも、作品の解釈に戸惑いながら、舞台を作り上げて来られたことが良く分かりました。

僕がバカで理解できていないわけではないんですね・・・

まあ、不条理演劇に明確な解釈が加えられるのであれば、それは不条理演劇として失敗しているということ(?)なので、理解不能なところは理解不能なものとして、そのまま受け入れるべきなんでしょうね・・・
こういう引っ掛かりどころのある作品の方が、後々まで覚えていたりして、「あれってこういうことだったのかなあ・・・」なんて突然思い至ったりすることもあります。

いずれそういう時も来るかもしれないので、謎は謎として、心に留めておきたいと思います。


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