パロディ二重の声01

東京ステーションギャラリーの「パロディ、二重の声-日本の一九七〇年代前後左右-」展に入った話は、先日書きました。

そう来たか!「パロディ、二重の声-日本の一九七〇年代前後左右-」展@東京ステーションギャラリー

展覧会に付随して、講演会をやっていたので、今回はそれに行ってきました。

タイトル:「パロディ展のてんまつ」。
講師:成相肇(東京ステーションギャラリー学芸員)

学芸員といっても、展覧会を企画した方です。
お話を伺っていて分かるんですが、過去に尖った企画を色々されている方ですね。
商業的に成り立つんかいな・・・みたいな企画もあったりしますが。

さて、本展覧会ですが、実現に至るまでにかなり苦労が多かったみたいですね。

権利関係、特に著作権がらみが大変だったそうです。
美術展は非営利事業だそうなんですが、チケットが有料である以上、権利団体はきっちり課金してくるそうです。
著作権者が生きていれば、直接話をすればよいので、比較的権利関係をクリアするのは容易なんだそうですが、問題は亡くなっている場合。
権利団体は効率化のために、杓子定規に課金してくる。

特に、音楽関係が大変だったそうです。
JASRACは悪名高いですが、実は権利団体はJASRACだけじゃないんだそうです。

話聞いていると、権利団体って、著作権を守るとか、著作物を有効活用するとか、そういうための組織ではなく、利権をむさぼる組織ではないかと思えてきます。
権利団体というよりは、利権団体ですね。
講師の成相さんがそう仰っていたわけではないですよ。
念のため。

展示できなかった作品についても語っていただいて、理解が深まりました。

『ビックリハウス』(読者の投稿で成り立っているサブカル雑誌)の展示はありましたが、これとは別に『話の特集』という雑誌があったそうです。
これはプロが作っていて、パロディもレベルの高いものだったそうです。

あと、文学の世界では、1973年に、筒井康隆が『日本以外全部沈没』を、井上ひさしが『吉里吉里人』を執筆。
文学界でも、パロディが爛熟を極めていたんですね。

そういえば、筒井氏は、最近もやらかしてますねえ。

慰安婦:筒井康隆氏の小説、韓国で販売中止に

賛同するかどうかはさておき、1970年代の反骨をいまだに続けている、稀有な存在ですね。

あとは、タモリの存在についても言及がありました。
いまはタモリは良いおじさんですけど、昔はかなりキワドイパロディをやっていたんですよね。
タモリって、知識人からの評価も高いんですが、そういう経緯があったからなんですねえ。

後半の時間の半分くらいは、マッドアマノの「パロディ裁判」についてでした。
展示は、客観情報が展示されていたんですが、講演会は、芸術的側面からの解釈をされていました。
思いがこもり過ぎていて、ちょっと話が長すぎましたね・・・

当たり前のことではありますが、法律は芸術よりも上位にあるんですよね。
要するに、芸術表現は、法律を破らない範囲で行う必要がある。
たまに、法律を犯して、あるいはグレーゾーンのことをやって、物議を醸すこともありますが。

現代社会が人々を抑圧するのは、暴力ではなく、法律や官僚組織なんだなあ・・・と改めて実感しました。
フランツカフカが作品の中で予言していたことが現実になっているんですねえ。

現代社会は複雑化していて、何が問題なのかさえ良く分からなくなっていますが、1970年代あたりに立ち返って振り返ってみてみると、現代社会の問題の本質が見えてくる部分はありそうです。
単純に「面白い!」と言える内容ではなかったですが、色々と考えさせられる講演でした。


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