東京ステーションギャラリーで開催中の、「パロディ、二重の声-日本の一九七〇年代前後左右-」 展 。
さほど話題にもなっていないようだし、実際、お客さんもさほど多くはない(少なくもない)展覧会でした。
東京駅という権威ある一等地にありながら、こういう攻めた企画展をやるのは、僕としては好きですね。
タイトルにあるとおり、日本の1970年代のモダンアートを「パロディ」という視点から読み解いたものです。
1970年前後は、日本がとても熱い時代でした。
明治維新以降で、若者が一番活躍できた時代じゃないかとも思うんですよね。
戦後復興を成し遂げ、1964年の東京オリンピックで盛り上がった。
1970年の大阪万国(万国博)では、若い才能が活躍する場が与えられた。
安保闘争もあり、若者が政治活動に明け暮れていた時代でもあります。
実はこの時代に「パロディ」というトレンドがあった。
事象として、いま語られているわけではないので、こういう潮流があったことは、展覧会に行くまで知りませんでした。
政治の時代であり、経済成長の時代である、1970年代に若者のサブカルチャーの流れの中に、こういう潮流が内包されていたんですね。
2020の東京五輪で、1960年代との比較がされますが、いまはマジメすぎて、社会も硬直化している感じがしますね。
横尾忠則や赤瀬川源平という、いまでも残っている有名なアーチストの作品もあれば、そうでない方の作品もあります。
でも、どれも面白かったですよ。
名画のパロディ。
人形が政治演説をしているオブジェ。
アートとして仮想の政治運動を仕立てるという試み。
政治の時代であると同時に、政治を茶化して無化しようという流れもあったことが良く分かります。
消費社会に対する批判的な作品もありますが、自由闊達に遊んでいる感じがあってよいですね。
最後に、「パロディ裁判」友よばれる、マッド・アマノのフォトモンタージュを発端とする訴訟についての展示があります。
著作権の問題が顕在化した事件ではありますが、それまでは著作権の問題もゆるかったし、オリジナルを使うことに対する寛容性があったんでしょうね。
あと、サブカル雑誌「ビックリハウス」の展示もありましたが、いまのネット社会を先取りした試みでした。
ただ、大量消費社会に飲み込まれてしまったのか、1985年には廃刊されてしまいます。
社会の寛容度が高く、高度成長の途上にありながら、まだ大量消費に飲み込まれることもなかった、特殊な時代のトレンドだったんだなあ・・・と、通しで見て実感しました。
『伊丹十三のアートレポート「質屋にて」』(1976年)という10分程度の映像が見れますが、これが秀逸です。
伊丹十三が演じる悪そうな兄ちゃんが、質屋にウォーホールの作品を持ち込む。
質屋のオヤジはなかなかその価値を理解してくれず、伊丹がひたすら説明して説得を試みる・・・みたいな流れなんですが、オチも含めて、現代芸術について、面白く、本質を突いた解説になっています。
「パロディ、二重の声-日本の一九七〇年代前後左右-」 展 (東京ステーションギャラリー)
展示品の質 | ★★★☆☆ | 金銭的価値や作品の有名度はさておき、面白い作品が多かったですね。 |
展示数 | ★★★☆☆ | さほど多くはないです。 |
雰 囲 気 | ★★★★☆ | 東京駅のクラシックな雰囲気と、1970年代の猥雑な雰囲気のミスマッチが不思議。 |
演出&解説 | ★★★★☆ | 企画が秀逸だし、70年代前後の時代が良く分かる。 |
交 通 | ★★★★★ | 東京駅舎内という、最高の立地。 |
入場料(CP) | ★★★☆☆ | 当日一般900円は良心的。。 |
総評 | ★★★☆☆ | 僕の趣味にジャストミートしてたので、個人的な評価は4つ星ですが、一般的には3つ星くらいでしょうかね。 |