家族、子供

ぶじ、1か月の中欧旅行を終え、日本に戻ってきました。

風呂で湯船に浸かり、コメを食べ、「やっぱり日本は良いなあ」と思っています。

ちなみに、今回の旅行で、バスタブのある宿は1軒のみでした。
その1軒にしても、栓がなくてお湯が溜められないんですよね。
湯船に使うためではなく、体を洗うためにバスタブがあるって感じでした(海外にはこういう宿は結構あります)。

コメも、旅行中は食べませんでした。
厳密に言えば、コメを使ったスープは飲んだし、往復の飛行機(機内食)の機内食では、コメを使った料理を食べました。
ただ、パサパサしてて、日本の白米とはぜんぜん違うので、同じコメとは見なせないんですよねえ・・・

別に海外旅行中は、「風呂(浴槽)に入りたい」、「コメが食いたい」とは別に思わず、現地に適応できているつもりなんですけどね。

おっと。
重要なのは、ここではないんです。

日本(沖縄)に戻って、国立劇場で観劇したのですが、終了後に、劇場のチケット売りの人が声をかけて来て、「チケットを二重で購入されているようですので、1枚分返金させていただきます」と言われたんですよ。

旅行に行く前に、ネットで予約していたんですが、それをすっかり忘れており、当日別でチケット買っちゃってたんですよね。

チケット販売担当の方が、それに気づいて声をかけてくれたんです。

先日のブログで書きましたが、スロヴェニアでお城の入場チケットを買ったんですが、意思疎通がうまくできず、2枚発見されてしまいました。

それでも日本は素晴らしい

お金を払い、チケットを受け取った後に気付き(2枚チケットを渡されたので不審に思った)、「返金してほしい」といったところ、受け付けてもらえませんでした。
「すでにお金払ってしまったものは返金できないよ」ってことらしいのですが・・・

自分のミスで二重買いしたにもかかわらず、売った方からそれに気づいて声をかけてキャンセルしてくれる日本

意思疎通がうまく行かず、間違って発券されたチケットをこちらからお願いしても、キャンセルを受け付けてくれないスロヴェニア

この差って、一体何なんだろう?

と思ってしまいましたよ。

もちろん、日本ですべて同じ対応をしてくれるわけではないし、スロヴェニアではどこでも同じような塩対応を受けるわけではないとは思います。

でも、概してヨーロッパでは、日本みたいな丁寧な対応はしてくれません。

「このバスは○○に行きますか?」と運転手に聞いても、「行かない」とは答えてくれるけど、「○○行きなら●番乗り場に行け」とか、「バスじゃなくて列車で行ったほうが良いよ」とは答えてくれません。

これって、サービス業の対応の良し悪しだけの話じゃないと思うんですよね。

日本では、相手に不快な思いをさせないように、気を遣うことを、文化というか、慣習として刷り込まれると思うんですよ。

一方で、人を注意する場合も、ヨーロッパでは「自分が迷惑だから注意する」という感じですが、日本だと「(自分が迷惑という以外に)社会の一員としてやるべきではないと思うから注意する」という部分もあるように見受けられます。

特に、おせっかいなオバサンなんかは、そういう感じですよね。

街を歩いていても、どこか安心感があるんですよね。

東京ではないかもしれないけど、沖縄ではイベントの席取りで、バッグを椅子の上に置いて、平気でその場を離れたりします。
さすがに、財布は持っていくようですが、スマホは置いたままだったりするんですよね。

離島では、鍵をかけずに外出する家庭もいまだに多いです。
僕が生まれ育った否かでも、高校生くらいまでは鍵を閉めずに外出していた。

「みんな仲間なんだから、そんなにおかしなことは起こらないだろう」という安心感があるんですよね。

都会ではそうも行かないところは多々あるけど、それでも海外よりは全然安心感があります。

「日本人は個が確立されていない」
「日本人は空気を読みすぎる(気を遣い過ぎる)」

みたいな批判もあるし、僕自身、そんな日本社会を窮屈に思っていたこともあります。

ただ、日本に戻ってみると、そこに大きな居心地の良さを感じてしまいます。

ヨーロッパに常に異民族が周りにいて、戦争をし合ったり、侵略し合ったりして、いまの国境線が引かれています。
争いに負けると、国家の権限や領土が大幅に減ってしまったり、最悪、国家が消滅したりしてしまったりします。

そんな中で生きてきた人たちなので、「他人は信用できない」というのが根源にあるきがします。

一方で、日本では、相手の気持を忖度し過ぎて気疲れしたり、外れた行動を取ると後ろ指さされたり、陰口を叩かれたりもするわけですが、それでもこの安心感は他に代えがたいものがあるなあ・・・と思います。

ただ、こういう日本人の共同体意識というのは、外国人には適用されないところも多々あるので、日本に生まれ、日本人として育った人の「特権」とも言えるでしょうね。

日本にいると、自分の環境が「当たり前」になってしまい、この「特権」には気づきにくいのですが。


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