沖縄は連日荒天で、半袖でも大丈夫なくらい暖かいです。
平日なのに、街には子供たちが行き交っています。
新型コロナの影響で休校になったのが、そのまま春休みに突入してしまったようです。
「ちょっと涼しい夏休み」みたいな雰囲気なんですよね。
さて、そんな中、話題の『Fukushima50(フクシマフィフティー)』を観てきました。
本作は、東日本大震災の原発事故に際して、その処理に当たった東電の現場スタッフを描いた作品です。
評価も高く、ヒットもしているようですが、こういう映画が作られて、ヒットもしているってのは、だいぶ時代が変わったなあ・・・と思います。
アメリカではこういう実話に基づく映画は最近かなり主流になっています。
「伝記映画」と言われることが多いですが、ちょっとこの言い方はしっくりこないですね。
セットを用意して、俳優に演技をさせているので、「ドキュメンタリー映画」とも言えませんから、なかなか呼称は難しいですね。
日本を守るために尽力された、吉田所長をはじめとする現場作業員には改めて敬意を表するばかりです。
さて、この作品では、
・福島原発の吉田所長と、現場作業員 → 優秀
・首相と官邸 → 無能
・東電(映画の中では名前は変えられているが)本店 → 無能
・自衛隊 → そこそこ有能(あまり登場しないが)
・米軍 → 有能
という描かれ方をしています。
まあ、実際そうだったんじゃないかとは思うのですが、なんで日本って「トップが無能で現場が優秀」という状況になるんでしょうねぇ。
で、現場には優秀なリーダーはいるけど、他のメンバーもモチベーションが高くて能力も高い。で、現場主導で対処に当たる・・・という感じです。
『シンゴジラ』もそういう描かれ方がされていましたし、『踊る大捜査線』のシリーズもそうです。
新型コロナウイルスにしても、トップ(政府)が優れた政策をとっているようには見えないんですが、国民全員が衛生に気を配り、行き過ぎた行動は自粛して、拡散が留められています。
日本の危機対応って、いつも現場主導なんだなあ・・・と思わされますね。
欧米では「個人主義」が浸透していますけど、だからこそ優秀で剛腕の指導者がいないと、人々がバラバラになってしまうというのはあるんでしょうね。