家族を想うとき

「働き方改革」が進む中、「日本人の働き方は異常だ」、「○○はブラック企業だ」みたいなことが言われています。

一方で、ヨーロッパの人は「残業しない」とか「1か月くらい休暇を取る」とか言われています。

日本人だけが過剰な労働に苦しんでいるのか?

実際はそうではないと思うんですよね。
公務員になったり、大企業に勤務する人たちの労働時間も短いのは確かだと思います。

海外諸国は、概して日本と比べて所得格差が大きいので、低所得者の人たちの虐げられ方は、日本の労働者にも勝るとも劣らないんじゃないかと思ったりします。

前置きが長くなりましたが、今年初の映画鑑賞は『家族を想うとき』でした。

虐げられた人々を描かせると右に出るものはいない、カンヌ映画祭の常連、イギリス名匠、ケンローチ監督の新作です。

イギリスの話ですが、「日本にも当てはまるところ、あるある!」という感じの映画でしたよ。

主人公リッキーは、お金を貯めるためにフランチャイズの宅配業者の仕事を始めるのですが、これが過酷なんですよね。
保障は何もなく、リスクはすべて自分で負わなければならない中、損害が出ると制裁金が科される。
日本の宅配異業者ではこういうビジネスモデルはないかもしれませんが、最近問題になっているコンビニフランチャイズなんか、まさにこの形態ですね。
ルールにも縛られるし、利益は会社に掠め取られる中、会社は何も保障してくれず、リスクだけ個人に背をわせる。
会社側にとっては美味しいビジネスモデルでしょうけどね。

で、奥さんのアビーは介護士なんですが、低収入な割に過酷な仕事です。
責任感があって、愛情も強いので、被介護者のために尽くすのですが、それによって自分自身が疲弊していく。

両親が過酷な労働に疲弊する中、子供がトラブルを起こし、それによって仕事に支障が出て、さらに一家は窮地に陥っていく・・・

家族の誰も悪くはないし、両親とも幸せを願って一生懸命働いているだけなのに、家族は不和になるし、お金も一向に貯まらない。

日本にも、こういう家庭ってたくさんありそうです。

こういう労働者搾取というのは、以前からあったし、この作品の雰囲気も古典的というか、現代という時代を強く感じさせるものではないのですが、そうした中にも現代性がうまく盛り込まれていました。

宅配業者のリッキーは情報端末によってすべての行動が監視され、管理されています。介護士の妻のアビーもどこにいてもスマホで仕事の連絡を取っていて、息をつく暇もない。

「ITの進化によって、人は労働から解放される」なんてこという人もいますけど、実際のところ、労働者はITによって監視・管理されて、搾取されつくすだけなんですよねぇ。

日本の起業家の中には、「稼げないのは本人が悪い」と自己責任論を唱える人もいますけど、豊かな先進国においても、経済環境と社会制度の不備によって、こぼれ落ちる人たちは、どうしても出てきてしまうんですよね。

原題の”Sorry We Missed You”というのは「不在連絡票」の意味なんだそうですが、これが単純に不在連絡票の意味だけでなく、家族に対する「不在」というダブルミーニングを持っていて、秀逸なタイトルだと思います。

ケンローチ監督の前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』も良作でした(カンヌでパルムドールを受賞)が、こちらは老人問題を扱っていました。
僕にとっては、本作の方が、リアリティがあって身につまされる感じはありましたね。

新年にふさわしくない、縁起がよろしくない作品選択だったかもしれないなぁ


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