近い将来、会社員という仕事はなくなってるかもしれない。

働き方が変化していることを語る人の中には、こんなことを言う人もいます。
僕にしてみると、「本当にそうかなぁ」なんて思ったりします。

で、図書館で『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』のビデオ(DVDではない)を貸していたので、借りて観ました。

小津安二郎監督の初期の映画で、1932年(昭和7年)公開です。
つまり、戦前の映画なんですよね。

無声映画ですが、ビデオの方は弁士っぽい語りが入っていました。
日本の無声映画の最高傑作と言われている作品なわけですが・・・

たしかに、いま観ても呻らされるような、質の高い作品です。

主人公の吉井健之介は、2児の父のサラリーマン。
重役の岩崎の近くに引っ越して出世のチャンスをうかがっている。
休日の日に上司の引っ越しを手伝ったり、上司の言いなりで、いかにも小市民的なサラリーマンです。
ところが、2人の息子に対しては、威厳を持って接している。

この2人の息子が、悪ガキグループにいじめられて、学校をズル休みしたりして、子育てにも頭が痛い。
でも、この時代のイジメというか、子供のケンカは、陰湿的じゃなくて牧歌的だなあ・・・と思いますね。
いずれ、悪ガキとも仲良くなるんですが、このグループの中に、父の会社の重役の岩崎の息子も含まれているんですね。

この親世代と子世代の対比が面白いですね。

人間の成長過程を捉えているだけでなく、人類の進化の過程も象徴しているように思えます。

元々は、腕力の強い個体がリーダーになり、別の個体を従わせた。
ところが、生物が進化していくと、身体能力よりも、知力や組織構築力が重要になっていく。

群れで生活するサルから進化した人類は、特にボスに気に入られることが、組織の中で生きていくための処世術になるんですよね。

僕の前職でも、あからさまに上司にゴマスリする人がいました。
周囲の人たちからはバカにされてたんですが、彼は上司に引き上げられて昇進してしまいました。
そうなったら、大変です。
バカにしていていた人たちも、最終的には彼に従わざるを得ないんですよね。
内心ではバカにし続けたとしても・・・

映画の話に戻りましょう。
で、2人の息子は、重役の岩崎の息子の自宅に行って、ビデオ(と言っても当時は16ミリのフィルムですが)を見せられます。
そこには、岩崎に取り入る情けない父親の姿が映っていて・・・

ということで、息子たちは父親に対して失望します。

僕には子供はいないけど、父親の切なさ、やり切れなさは良く分かります。

労働者の身で父親の威厳をいかに示すか?
という課題を子供目線から捉えた映画としては『自転車泥棒』『鉄道員』がありますね。

両者ともにイタリア映画ですけど、『生れてはみたけれど』より後に作られているんですよね。
小津の先見性が伺えます。

資本主義が浸透するに伴って、労働者の「家長」の地位が揺らいでしまうんですね。
現代にも通じるテーマです。

85年前の映画なんですが、いまだに同じようなことが起こっていることを考えると、今後もこの構造はあまり変わらないかなあ・・・なんて思ったりもします。
会社という組織のあり様は変わっていくんでしょうけど、労働者が序列を作り、下の階層の者が上の階層の者に従わなければならない。
そして、一部(多く?)の人は、上の階層に行くために、自分より上の階層の人に媚びへつらわなければならない。

会社を辞めて気が楽になったのは、仕事から解放されたということよりは、誰にも従わなくても良くなったことの方が大きいかもしれないなあ・・・なんて思ったりもします。


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