映画レビューです。
BSプレミアムで録画していた『めぐりあう時間たち』
これまでも観たいと思ってたんですが、恋愛映画だと思い込んでいて、優先順位はさほど高かったんですよね。
ちなみに、自分があまり恋愛しないので、恋愛映画はあまり好きじゃないんです。
ちょうどテレビで再放送があったので、観てみた次第。
で、実際に本作を観てみると、「恋愛映画じゃないなあ」と思いました。
もちろん、恋愛は描かれているのですが、むしろ「人はいかに生きるべきか?」という哲学的な問いを主題としているように思えます。
登場人物は、みんな、どこか暗くて影があるし、実際に苦しみを抱えています。
終わり方も、ハッピーエンドとは言えませんねえ。
作家性が強くて、大衆ウケを狙っているようには見えない。
アメリカ映画にしてはかなり特殊だな・・・と思っていたら、監督はイギリス人のスティーブンダルドリーでした。
「アメリカ映画っぽくなくて、芸術性の高い良い映画だなぁ」と思ったら、ヨーロッパ系の監督の作品だったりすることが多いです。
うーん。
イギリスはさておき、フランス映画やイタリア映画はだいぶ廃れた感がありますね。
映画の多様化と深化を考えると、ヨーロッパ映画がもっと再生すべきっだと思うなあ。
いずれにせよ、ヨーロッパ系の監督がアメリカ資本で映画を作ると、芸術性と商業性が美味くブレンドされた、良い映画ができることが多いですね。
話がそれたけど、作品に関して。
ヴァージニアウルフの『ダロウェイ夫人』が、物語の底流にあります。
それを軸に、時間も場所も違う3人の異なる女性の物語が展開されていきます。
しかも、それぞれが1日の出来事なんですよね。
物語が濃厚なので、たった一日の物語だとは、後まで気づかなかったんですが。
さて、それぞれ3つのシーンは、別々のものではなく、お互いに相関しているところがミソです。
現代は”Hours”で、直訳すると、まさに『時間たち』。
邦題を『めぐりあう時間たち』としたのは、シンプルながらも作品世界をうまく言い当てていて、良いネーミングだと思います。
「めぐり合う時間」を描いた小説、映画として、伊坂幸太郎の『フィッシュストーリー』を連想しました。
『フィッシュストーリー』は、ストーリーも、雰囲気も全然違いますけど、実は『めぐりあう時間たち』の影響を受けてるんじゃないかと思います。
実際、『フィッシュストーリー』が書かれたのは、『めぐりあう時間たち』の公開の2年後です。
ただ、作風は180度違っていて、『フィッシュストーリー』は、時間の交錯が福音に満ちていて、ハッピーエンドに向かって収束していきます。
『めぐりあう時間たち』は時間の交錯が、はたして人間にとって救いとなっているのか、よくわからない。
また、結論も落ちもなく、答えを提示してくれる映画ではないだけに、すっきりしないところが多々残ります。
逆に、それが余韻となって、色々なことを感がさせてくれます。
俳優陣も良いですねえ。
作風としては、僕の大好きな映画、『パリ・テキサス』を彷彿とさせるところがありました。
分かりやすい映画ではないけど、こういう映画がもっと観たい!
と思わせてくれる良作でした。