先週、BSプレミアムで『ダーティーハリー』シリーズ5作を一気に放映してました。

三連休に2,3を観たので、まずは『ダーティーハリー2』についてレビューしておきたいと思います。

『ダーティーハリー』1作目は、たしか小学生のころに観ました。
子供心に、「ハリーちょっとやり過ぎじゃないの?」と思いました。

殺傷力の高い44マグナムなんか持ってて大丈夫なのか?

日本では、90年代前半くらいまでは、まだ左翼勢力が元気だったし、警察の権力に対する批判は今よりもありました。
警察が発砲したら、けが人が出ていなくても、メディアで取り上げられて、物議を醸してましたからね。
それだけ、日本が平和だってことだと思います。
だから、『ダーティーハリー』を見ると、ハリーに対して「権力の乱用じゃないか!?」と思ってしまう。

一方で、アメリカはいまはだいぶ安全になってきたかもしれませんが、これまでずっと犯罪大国でしたからね。
『ダーティーハリー2』を観て、はじめて気づいたのですが、舞台がサンフランシスコなんですよね。
いま、サンフランシスコというと結構治安のよい場所だと思うんですが、当時はそうじゃなかったのかな?
いずれにしても、アメリカではいまだに警察官が黒人を射殺したりしていて、それでデモが起こったりしてますから、警察官が発砲したり、犯人を殺害したりするのは珍しいことでもないのかもしれません。

*** ここからネタバレあり ***

さて、本作なんですが、例によって、殺人事件が起きますが、被害者はいずれも麻薬組織や売春組織の大物ばかり。
犯人を追っていると、実は警察の内部に・・・ ということが浮かび上がってくる。
アメリカ映画ってこのオチ結構ありますよね。

こういうの、日本映画ではそんなに見ません。
警察内部の組織がダメで捜査がうまく進まない・・・というのは結構ありますけどね。

現実に、どのくらいアメリカの警察組織が腐敗していた(いるか)というのは分かりませんが、発展途上国では警察官自体が犯罪の片棒を担いでいることは多々ありますね。
ただし、今回の作品では、「犯人は警察内部にいた」といっても、行き過ぎた正義感によるもので、「犯罪者を撲滅してやる」みたいなことを思ってる人たちが、犯罪者をボコボコ殺害しているというシナリオなんです。
ハリーは犯人を追ううちに、彼らと対決することになるわけですが・・・
でも、ハリー自身も結構犯罪者を殺害したりしてるんです。

映画の中では、そういう風には描かれてないけど、「50歩100歩じゃないの?」と思ってしまいます。

芥川龍之介の『羅生門』を想起させますね。
小さな悪を認めてしまうと、大きな悪を否定することもできなくなるんじゃないかと・・・
つまり「ちょっとやり過ぎてる」ハリーが、「かなりやり過ぎてる」犯人と対決するという構図。
で、例によってハリーは犯人を殺害するんですよね・・・

やっぱりやり過ぎだよハリー。
日本人でも『ダーティーハリー』のファンはいますが、日本の警察が同じことをやる映画を作ったら、日本人は目くじら立てて怒るんじゃないかと思うんですよ。

そういえば、最近フィリピンのドゥテルテ大統領の過激なやり方が注目を集めていますが、なんかそれを想起させてくれます。
犯罪に対しては、「目には目を」で強硬手段を取らざるを得ないところもあるのかな???と思いました。

いずれにせよ、アメリカ人が共感するからこそ、ハリーという異端の警察官がフィクションとはいえ存在しうるわけですからね。
いくらアメリカでも、現代では、ここまでやっちゃうヒーローは受けいられないんじゃないかなぁ。

ちなみに、『ダーティハリー』シリーズを改めてみようという気になったのは、クリントイーストウッドという人物の変遷を知りたかったからです。
そういう意味では、彼の出世作の『ダーティハリー』から、直近の『ハドソン川の奇跡』まで追ってみると、イーストウッドは転向したといえるくらい変わったんじゃないかと思います。


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