『沈黙―サイレンス』のレビューを先日書きました。

沈黙

誠実な名作『沈黙-サイレンス』(1092本目)

業界人からも評価の高い『沈黙-サイレンス-』はたしかに名作

マーティンスコセッシ監督の過去の作品で未見のものを見よう!
ってことで、今回は『レイジングブル』を観ました。

1977年にスコセッシ監督の『タクシードライバー』ではなく、『ロッキー』がアカデミー作品賞を獲ったのは、アメリカ映画のみならなず、世界の映画のトレンドを象徴するような出来事だったと思います。

社会の暗部をえぐるような社会派作品よりも、夢のあるエンタ-テイメント作品の方が映画界の主流になったということを象徴していると思うんですよ。
それ以降も、スコセッシは良作を撮り続けていたんですが、アメリカ映画のメインストリームに乗っているという感じはなかったですね。
それでいながら、ちゃんとそれなりのヒットを続けて行けているというのはスゴイことだと思いますが。

何でこういうことを長々と書いてきたかというと、この『レイジングブル』は『ロッキー』に対する意趣返しのような映画だからなんですよね。
本作は、実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタの自伝を元にした作品です。
ちなみに、公開は1980年なので、『ロッキー』がアカデミー作品賞を獲った(つまり、『タクシードライバー』獲れなかった)3年後なんですね。
同じボクサーが主人公の映画だから・・・というだけではなく、『ロッキー』がコインの表だとすると、『レイジングブル』は裏になっているような気がします。

主人公のジェイク・ラモッタがチャンピオンになり、栄光をつかむというのは、前半に過ぎません。
猜疑心の強さから、妻とトラブルを抱え、肝心のボクシングでも敗北し、犯罪にも手を染め、最後はクラブのコメディアンになり・・・という人生を辿ります。

『タクシードライバー』の時代からそうだったんですが、スコセッシ監督はアメリカ社会の影の部分を描いていますねえ・・・
スコセッシ監督は、道を踏み外した人にカメラを向け、冷静でありながら愛情を持って内面に迫りつつ、社会の病理を明らかにしていきます。

そういう視点は、『沈黙―サイレンス』にも連綿と受け継がれているんですよね。
アメリカ映画が、軽薄路線、商業主義、ご都合主義の方向に傾いていても、スコセッシみたいな監督がいて、ちゃんと商業ベースで作品を撮り続けられるというのは、アメリカの懐の広いところでもあると思います。


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