海よりもまだ深く

労働者の皆さま、今日も一日ご苦労様です

最近、本ブログは映画レビューブログのようになっていますが、期待に応えて、またまた映画レビューしちゃいます!

『海よりもまだ深く』

新作ができるたびに必ず観に行く映画監督と言えば、是枝裕和くらいです。

宇宙人が侵略して「日本の映画監督を皆殺しにするが、二人だけは見逃してやる」と言われれば、是枝裕和と岩井俊二を選びます。

それはさておき。

『海街diary』は作風は地味だったけど、美人女優が複数出ていて華がありましたが、本作はさらに地味です。

もちろん、真木よう子が出ていたりはしますが、撮り方が地味で淡々としてるんですよねえ。
でも、退屈な映画ではありません。

というか、退屈に思える人もいるかもしれないけど、しっかり観れば、淡々としたシーンや何気ないセリフにも深い意味があって考えさせられるんですよね。

*以後、ちょっとネタバレあり*

この映画は、「なりたい存在になれなかった人間がいかに生きるのか?」というのをテーマにしている(と僕は解釈している)のですが、結論が出るわけではない。
そうした今といかに折り合いを付けて生きていくのか試行錯誤しつつ、折り合いは付かないままに、話が進展し(あるいは進展せずに)、終わる。
「なりたい自分になれた!」なんてキャリア系の広告コピーみたいなこと思っている人なんて、ほとんどいません。
だから、この映画はみんなのためにあります(!?)。

さて、阿部寛演じる良多は(自称)作家。
過去に文学賞を受賞したが、その後は鳴かず飛ばずで、探偵事務所をやりながら執筆を続けるが、お金にはならないし、探偵事務所で稼いだ金もギャンブルに消える。
愛想を尽かされて離婚した妻(真木よう子)と、息子が一人いる。
妻子に対して未練があり、定期的に会いはするものの、元妻からも愛想を尽かされている。

ダメ男なわけですが、阿部寛はうまく演じているとは思います。
『エヴェレスト 神々の山嶺』でも感じたけど、阿部寛がアウトローを演じると、完全なアウトローにはならないんですよね。そこ良いところでもあるけど、限界でもある。
俳優としては不遇の時代はあったようだけど、どうしても品の良さと言うか、スター性というか、そういうものが見えてしまいます。

閑話休題。

作品を読み解くうえで、注目すべきは、良多と、親世代の夫婦関係だと思います。
本作に限らずですが、家族が描かれている映画やドラマを見るときは、上の世代、あるいは下の世代と比べて、どこが同じでどこが違うのかに注目すると、理解が深まります。

良多の母親は樹木希林が演じてますが、是枝作品では常連ですね。
最近の樹木希林の演技は神がかってますね。
さておき、良多の父親は死んだということになってますが、良多が遺伝したと言われるダメ男だったことが示唆されます。
でも、良多と違って、離婚はせず、妻に看取られた。
時代が違うとも言えるわけですが、それだけでは片付けられない。

映画のタイトルにもなっている母息子の会話があります。
「海よりも深く人を愛したことがあるか?」という会話の中で、樹木希林演じる母の淑子は「ない」と答えるんですよね。
一方、息子の良多(阿部寛)は「ある」と答えます。
その対象は、元妻と息子であることが示唆されます、

深い愛のなかった夫婦が最後まで添い遂げた(死んだ父の方にはあったかもしれないけど)一方で、愛のあった夫婦は離桟している(元妻の方にはなかったかもしれないけど)。

「親子にわたって同じ人生を繰り返している」とも言えるけど、違うところもある。
その違いは、時代の違いのせいかもしれないし、性別の違いかもしれない。
あるいは、違うのは個人のモノの見方に過ぎず、本質は同じかもしれない。

そんなことを考えさせられます。

ハッピーエンドではないけど、観た後にそれなりの爽快感が残るのは、「海よりも深い愛」が漂うからでしょうね。

是枝作品全てに言えることだと思いますが、登場人物が感情を露骨に出さないのが、抑制が効いていて良いのですよね。
「愛」を表現するのに、強く抱き合ったり、それをあからさまに口に出して言ったりはしない。それでいて、感情がじわっと伝わってくる。

現代の映画監督の中では、いちばん小津安二郎に近いと思います。
ご自身は否定されているようですがね。

是枝作品の中では、「最高傑作!」とは言えないかもしれないけど、見る価値のある佳作ではあります。


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