カンヌ映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を総なめにした、すごい作品があります。
僕の友達の映画ファンもこぞって絶賛していて、「まだ3月だけど、今年観た中で最高の映画になることは間違いない」みたいなこと言っている人もいました。
『サウルの息子』という映画です。
でも、Yahoo!やWalkerPlusのレビューを見ても、イマイチ評価は高くないんですよね・・・
このギャップは何だろう?
自分の目で確かめることにしました。
行ったのはヒューマントラストシネマ有楽町。
結構空いてましたよ。
映画館の環境は良かったんですが、別件で苛立つことがあったせいか、なかなか作品の世界に入れなかったですね。
まず気になったのが、画面横幅が狭くて、正方形に近い点。
開始早々に「なんだこの映画館、スクリーンのカーテン開け忘れてるんじゃないのか?」と思いました。
作品は、ナチスドイツの時代で、主人公は強制収容所で死体処理に従事するユダヤ人のサウル。
こういう人は「ゾンダーコマンド」と呼ばれ、他の囚人と引き離され数ヶ月働かされた後、抹殺されるんだそうです。
同胞の死体処理をやらされた上に、最後は自分も殺されるという、実に悲惨な存在なのですが、他の囚人と違って、ある程度の自由が与えられるんですね。
サウルは死体の中で、自分の息子を見つける。
その息子をユダヤ教の教えに従って埋葬したいと思うが・・・
という救いようのないストーリーです。
とても、週末に観に行くような作品ではない。
平日の夜に観に行く作品かというのと、そうでもないですね・・・
ただ、『シンドラーのリスト』みたいに、ナチスの残虐さを執拗に描写するのではなく、淡々と進んでいく感じです。
残虐なシーンも出てくるし、何より死体が沢山映し出されますが、どこか淡々としている。
それは、この作品が心を閉じてしまったサウルの視点から描かれているからなのですが、観ている時は、「なんか、延々と死体処理の仕事が続くなあ・・・」とウンザリする気持ちしか抱きませんでした。
『シンドラー・・・』なんかが象徴的なんですが、ドキュメンタリータッチに作られていても、どこかに観る人を退屈させないように工夫をします。
『サウルの息子』はそんなことはなく、前半はしつこいくらい同じようなシーンが続く。
画面が途中で切れていたり、背景がボケたりするんですよね。
撮り方が荒いわけではなく、意図してそうしている感じは受けましたが、意味が分からなかった。
本作品を絶賛している人たちが、最も評価しているのがラストシーンです。
延々と閉塞的なシーンが続いた後、やっと場面が転換したかと思うと、一挙にラストシーンに向かうんですが・・・
(これ以上はネタバレしません)
「あれっ? これは何だろう」
と思いました。
どう解釈してよいのかわからないラストシーン。
家に帰って、どうしてもすっきりせず、ネットで調べたら、映画評論家の町山智浩さんの解説があり、つい読みふけってしまいました。
なるほどそうだったか!
と思う反面、自分の映画を観る目の甘さに恥じ入った次第です。
僕が違和感のあったところが、全て意味があったんですね。
つまり、僕が主人公サウルの世界に共感できる能力がなかったということです。
町山さんが『セッション』を巡って、ジャズミュージシャンの菊地成孔さんと論争になった際は、僕は菊池さんの意見の方に共感できました。
でも、今回の説明はさすがだなーと思いました。
映画好きの僕の友人たちも、町山氏と同様のことを読み取れていたんでしょうね。
最近、ハリウッド映画を観る比率が高まっていました。
あまりハリウッドのお作法に染まらないようにしようと気を付けていたつもりでしたが。
知らない間に染まってしまっていたようで、こういう作品を観て、共感したり、理解したりする能力がいつの間にか鈍ってしまっていたのかな・・・と思います。