ウィーンの観覧車

ピエール瀧さんの逮捕の話題は、先日書きました。

世の中は「依存症」であふれている

ピエール瀧氏はマルチタレントなので、影響は後半に及びます。
彼が出ているコンテンツ、映画・ドラマ・音楽CDなんかをどうするか(取り下げるのか? 維持させるのか?)という問題があって、議論が分かれています。

そんな中、舛添要一氏の発言が炎上してしまいました。

ピエール瀧容疑者の逮捕に「道徳が支配する国に芸術や文化は育たない」発言で“大炎上” 舛添氏を襲った“約100万の罵詈雑言”の是非

舛添さんの仰っていることは真っ当だと思うんですけど、アンチ舛添の人にとっては、言っている内容だけの問題じゃなくて「お前が言うなよ!」という意識があるんだと思います。

あと、自粛体質のメディアが批判されていますけど、メディアにしても、視聴者の批判を恐れてそうしているわけだから、結局のところ、バッシングする市民が原因だと思いますよ。
自粛したら「過剰だ」と批判して、自粛しなければ「儲けのために反社会的な行為を行っている」と批判するんでしょうねえ・・・

さて、去年、ヨーロッパを回った際に行ったウィーンの観覧車について書きました。

平和は何も生み出さないのか?

そこで、このウィーンの観覧車の中で語られる『第三の男』のセリフを紹介しました。

ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、ミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。 スイスの同胞愛、500年の平和と民主主義は何をもたらした? 鳩時計さ

これって、文化や芸術に関する真理を語っていると思うんですよね。

ルネサンス前の中世ヨーロッパはキリスト教道徳の制約が強く、自由な表現ができなかった。
もちろん、そうした社会でも文化や芸術は存在していたのですが、ルネサンス以降と比べると、平板で躍動感に欠けています。

結局、いまの日本、これからの日本はヨーロッパの中世みたいになるんだと思います。
社会としては安定しているけど、表現の自由もなく、逸脱したものは許されない。
想像力の飛躍には逸脱が必要ですが、逸脱を認めるのは、寛容性が必要です。
その寛容性は、偏狭な精神にとって不安定をもたらすものです。

日本は世界的に見ても、もはや文化先進国、芸術先進国にはなれないと思うわけですが・・・
まあ、自粛体質、バッシング体質は、権力者ではなくいまの日本国民自身が選んだものですから、それはそれでやむを得ないのかな・・・とも思います。


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