海外のトップYoutuberのニュースがスゴいですね。
最も稼ぐYouTuber 全世界1位は1年で24億円稼いだ小学1年生
記事を読んでると、ちょっと複雑ですね。
もちろん才能は多いと思うけど、こういうことできるのって、親が結構な収入がないといけませんからねえ。
お金で揉めるんじゃないだろうか? とか、マトモな人間に育つんだろうか?
とか、色々と不安もありますね。
日本だと、こういう子は色々なこと言われて、YouTuberとして成立しないんじゃないかと思います。
もうひとつ、こういうニュースもありました。
「遺体動画」で炎上のユーチューバー、今年も年収16億円を記録
極東の外国で起きたことなんで、アメリカ人や英語圏の人にとってはあまり関心のないことで、日本人とは温度感が違うのかも知れませんね。
ユーチューブのファンたちは、お気に入りのスターが問題を起こしても気にしない傾向がある。
とありますが、日本の場合はそうでもないですよねえ。
ヒカルなんかは復活しているとは言っても、昔ほどの勢いはないし、地味にやらざるを得ない状況ですねえ・・・
日本の場合、ヒカキンみたく、細心の注意を払って、誰も傷つけない、誰も不快にさせないような表現をする人が、トップに来るんですね。
長々とYouTuberの話題を書いてきましたが、書きたいのはYouTuberの話ではありません。
よく、「日本ではスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツみたいな傑出した起業家がやノーベル賞を受賞するような独創的な人材が生まれにくい」なんて言われます。
傑出した人間を生む社会って、とんでもないことをやらかす人間も生んでるんですよね。
アメリカは起業家を多数輩出してますが、とんでもない規模の巨額不正や不祥事も多数起こってます。
一部の傑出した人材に富と権力を集中させれば、こういうことは起こりえますね。
ヨーロッパでも、カサノバ、サド公爵、カラヴァッジョみたく、優れた芸術家は同時に犯罪者だったりするし、そこまで行かなくても共同体の秩序を乱すような反社会的人間が優れた業績を上げていたりするんですよね。
NHKの「ニッポンのジレンマ」で作家の五木寛之のインタビューがあったのですが、「昔も今も日本が変わっていないのは、和を以て貴しとなすの精神で、個よりも集団を重視するところだ」みたいなことを仰っていました。
たしかにその通りで、日本は今でも、「社会常識」に反する行為には厳しいし、和を乱す人は排除されます。
そういう社会は窮屈かもしれないけど、受け入れてしまえば居心地は良いんですよね。
日本人って、傑出した人は少ない代わりに、とんでもなくダメな人や、とんでもなく常識はずれな人も少ないんですよね。
だから、「一億総」なんちゃら的に、みんな一緒に行動して、みんな一緒に豊かになってきた。
(いまはみんな一緒に貧しくなってきてるのかも知れないけど)
いずれにしても、不倫する有名人や、炎上させてながら稼ぎ続けるYoutuberや、金持ちアピールの強い起業家や、大金を稼ぐ子供なんかを、バッシングせず黙って受け入れて、彼らの活動も阻害しないでいることって、意外にストレス溜まることなんですよねえ。
欧米人と接していて、「自分は自分、人は人」と割り切って、わが道を行く姿に敬意は払いつつも、自分にはできないなあ・・・と同時に思います。