労働者の皆さま、今日も一日ご苦労様です

日清カップヌードルの「いまだ! バカやろう!」のCMが中止になりましたね。

カップヌードルのCM中止=「不倫や虚偽擁護」批判受け-日清食品

批判を受けて「バカはやりません」という判断で落ち着いたのは、良くも悪くも現代日本を象徴してる感じがします。
CM放映の是非に関しては、色々な意見があって良いとは思いますが。

SEALDs奥田愛基「パナマ文書調べろデモやるぞ!」→池田信夫 が強烈な一言「偏差値28はデモの前に英語と会計の勉強が必要」

というのもありました。

SEALDsの活動は別に支持してませんが、分別ある大人が寄ってたかってバッシングすることもないんじゃないかなあ・・・と思います。
国益は大切ですが、彼らが国益を害するほどの活動をしているようにも思えないし、反対勢力があった方が社会に活気がでると思います。

少し前に、『幸福途上国ニッポン 新しい国に生まれかわるための提言』(目崎 雅昭 )という本を紹介しました。

本書によると、多様性に対する寛容さと、幸福度との間には強い相関があるそうです。
他人に対して寛容である方が、自分の精神も安定するし、社会の幸福度も増すと思います。

「アメリカはロクな国じゃない」と思うことはよくありますが、マイケルムーアが映画を撮り続け、それがちゃんと配給・公開されたり、大物ミュージシャンがコンサートで堂々と政治的な主張をするのを見ていると、「これがあるから、多様な人を抱えながらも、国のバランスがとれてるんだなあ・・・」と思ったりもします。

ヨーロッパにしても、観光地の崖に柵がなかったりしますが、こそから落ちたら落ちたで「自己責任」です。
立ち入り禁止にしたり頑丈な柵を設けたりすることが、人々の利益に資するものではないのですが、日本では「危ないじゃないか」「子供が怪我したらどうするんだ」とか言って、自らの自由を奪うんですよね。

前にも書きましたが、1960年代~70年代の日本は、いまより寛容だったと思います。

素晴らしき健全な日本社会~東京都現代美術館で考えた~

安保闘争で学生と機動隊がやり合ったり、大阪万博では小松左京、岡本太郎、丹下健三といった気鋭のクリエーターが起用され、それに対する反対運動で大学で裸のパフォーマンスやったり・・・
寺山修司がやっていた路上パフォーマンスなんかも、いまやったら潰されるんじゃないかと思います。
それこそ、「バカやろう!」みたいな時代でした。

ノスタルジーに浸るわけではない(そもそも、その頃はまだ物心ついていなかった)ですが、日本社会にはもうちょっと寛容であって欲しいなあ・・・と思います。

日本という国を愛しているから言うんですよ。念のため。


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