さっき、新世代が解く!ニッポンのジレンマ「ポリティカル・コレクトネスのジレンマ大研究」を見ました。

「ニッポンのジレンマ」シリーズは、面白いのですが、たまにエリート臭がプンプンの上から目線でイラッと来る人がいます。
今回はあまりそういうことはなく、ソフト路線でした。
テーマがテーマだけに、もっと激しい議論があってもいい気はしましたね。

日本人は議論を嫌う
日本人は自分の意見を持たないし、持っていても言わない

みたいな意見が結構出ていた割には、今回の議論自体がちょっと気を遣いすぎな感もありました。

ただ、色々と参考になる意見もありましたよ。

ひとつは「公平性と中立は違う」という意見です。
日本では中立であることが評価されますが、中立でなくても、自分と違う意見を認め合えばよい。
それが公平性ということだと思います。
この点は賛同しますね。
みんなが中立ということはありえないし、そっちの方が偏った社会だと思います。
ネット上でいろいろ意見を言う人がいますが、中立でもなくフェアでもない人が多いなあ・・・と思います。

Toleranceという言葉は「寛容」と訳されることが多いけど、「我慢」というニュアンスの方が強いんだそうです。
英語の意味って違うんですね。
寛容というのは美徳かと思いつつ・・・やはりそこには「我慢」あるんですよね。

あと、デモに対する批判に関する意見も共感できました。
「デモは無駄」「デモで社会は変わらない」といった意見です。
でも、この考え方はちょっとおかしい、とのこと。
古市氏の発言では「映画を観に行っても映画監督にはなれない。でも映画を観に行くのが無駄だと批判はされない」。
僕としては、デモで社会は変わらないと思うし、現代ではもっと効果のあるやり方があるとは思います。
それが無意味だとは思いませんね。
デモの内容に関して意見したり批判するのはわかるのですが、「デモなんかやってるやつはバカ」的な意見が出てくるのはちょっとどうかと思うんですよね。

番組の話ではないけど、ホリエモンの意見は違和感があります。
【安保法案】ホリエモン、SEALDsに対し 「暇人」 「恥の上塗り」

やまもといちろう氏の意見には共感できました。
SEALDsはもう少し評価していいんじゃないか

僕は、SEALDsは支持してないですけどね。

いずれにしても「ポリティカル・コレクトネス」の基準は、時代や国・文化によって全然異なりますね。
グローバル化時代には、その違いに直面せざるを得ず、それによって摩擦が生じざるを得ないんでしょうね。

江戸時代なんかは良い時代だったのかもなあ・・・と最近思ってしまいます。
時代は逆行できませんがね。


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