さっき、NHKスペシャル「私たちのこれから #不寛容社会」というのをやってました。

実に良いタイミングで、良いテーマの番組をやってくれますねえ。

豪華ゲストが多数出演されていましたが、いかんせん時間が短すぎった感はありますね。
2時間くらいないと、議論が煮詰まらないかも。

でも、いくつか良い視点が提示されていました。

■ネットはボーダレスに見えて、価値観によって情報が分断されている
アイスバケツチャレンジで議論が起きていた時、ALSの患者が感謝のツイートをしたが、賛成派はリツイートして、反対派はリツイートしなかった。
結果、反対派と賛成派で、触れている情報が異なるという結果に・・・
これは、経験からも良く分かります。
例えば、僕のFacebookの友達にアンチ自民党仲間がいるのですが、その間で自民党に都合の悪い情報ばかり流しあって、自民党を叩き合っています。
そこで自民党を擁護しようものなら、確実にたたき出されるでしょう。

■人間の脳は不寛容にできている
不寛容にできているからこそ、寛容を美徳として意識する必要がある。
脳科学者の中野信子さんの発言。
中野さんの発言は、全体的に共感できました。
本筋とは関係ないですが、この方、ポスト茂木健一郎を狙っているのでしょうか?

■分かり合えないことを分かり合うことが重要
どなたの発言が覚えていませんが、全体的にこういう方向で話し合われていたと思います。

論争になったのは、インターネットをどう捉えるのかというところ。
前半はインターネットが不寛容社会を加速させている・・・的な発言が多く、宇野常寛さんが「インターネット以前の時代を理想化しすぎていませんか?」的な発言をして、鴻上尚史さんとちょっとした論叢になっていました。

たしかに、インターネットが出現する前の方が寛容な社会だったというと、そうでもないですね。
インターネットは良いことも悪いことも、人間の性(さが)を助長させるものだ・・・というのは共通した意見だったと思います。

「匿名の発言だから無責任になる」というのも会場から出ていました。
たしかに、匿名であるからこそ、好き放題いえるところはある。

日本人の特徴として、リアルな生活でホンネを抑圧しているから、匿名でウサ晴らしする傾向はあるのかな・・・と思いました。

しかし、いまの日本はちょっと異常ですねえ・・・
学習帳の昆虫の写真が「気持ち悪い」というクレームで差し替わったり、二宮金次郎の銅像が「歩きスマホを想起される」というクレームを恐れて、座っている銅像に変えたり・・・
不寛容さもここまで来ているのか? という感じです。
テレビで紹介されているのは極端な例なんでしょうが、日常生活でも「不寛容だなあ」と思えることは良くありますよ。

映画監督の森達也さんが、オウム事件以後の社会環境の変化を指摘されていました。
ただ、社会環境の変化については、あまり議論されませんでしたが、現代の不寛容化を考える上で無視できないと思うんですよね。
経済の停滞や、格差の拡大、近隣諸国(中韓)との関係の変化が、日本人の意識に大きな変化を及ぼしていると思うけど、この視点は出てませんでした。

森達也さんは「われわれはもっと後ろめたさを持った方が良いと思う」と仰っていましたが、同意ですね。
正義感を持って人を叩いている人は、自分が本当に正義なのか、一回考えた方が良いと思います。

中高生の作文みたいな締めくくりになりますが・・・
僕自身、もっと違った意見を持った人の声に耳を傾けたり、自分が正しいと思っていることに、疑いを持ったりした方が良いな・・・と思いました。

以前、『幸福途上国ニッポン』という本を紹介しました。

『幸福途上国ニッポン』を読んで、日本人としての幸せのあり方を考えた

本書によると、寛容な社会ほど幸福度が高いのだそうです。

不寛容になることで、日本人は自らの幸福度を下げていると言えるかもしれません。

あと、日本社会の寛容性については、以前、下記の記事も書きました。

バカやれない時代

あわせてお読みいただければ幸いです!


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