プール水泳

サイボウズの青山氏と、為末大さんの対談記事が出ていました。

自由や自立を求めるのって、実は残酷なんです──為末大×青野慶久「個人の時代への備え」

無職を経験した身としては、結構、共感できるところが多かったです。

無職で、すべて自由だったころは、楽しかったですが、大変なところもありました。
毎日、朝起きると、その日、何をやるか、すべて自分で決めて、すべて自分で行動しなければなりませんでした。
やりたいことはたくさんあったので、退屈はしなかったし、生活は充実もしていたんですが、やることが決まっていた方が、ラクな部分もあります。

いまは、仕事をしています。
個人事業主ではあるけど、決まった時間に雇い主の会社に行って、仕事をして、決まった時間に帰ります。
忙しいと、イレギュラーになることも多いですが。

移住すると、お役所での事務手続きやら、荷物や郵便物の受取やら何やら、いろいろやることがあるので、平日に自由に行動できない不便さはあります。
平日に天気が良い日があっても、仕事を放って勝手に遊びに行くこともできません。
一方で、自分でイチイチ決めなくても良い居心地の良さもあります。

どちらにしても、リタイアした自由な生活、ノマド的な自由な働き方は、傍から見るほど素晴らしいものではないんじゃないかと思ったりしますね。
それが日常というか、普段の生活の大原則になるわけですから、最初は新鮮かもしれませんが、いずれありがたいものでもなくなります。

働くにせよ、働かないにせよ、「個人の時代」には、自由と引き換えに、全てを自分で抱える覚悟が必要ってことなんですね。

いずれ(それも近い将来)、現在のような生活にも終わりが来る(自分から終わりを来させる)ことになると思います。
いまから「自由の使い方」の訓練をしておきたいところです。

まあ、数か月間の無職生活を充実して過ごすことができたので、大丈夫だと思いますがね。


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