震災から5年が経ちました。

3月11日のあの時、大きな揺れを感じ、非常階段を辿って、階下に降りました。
その後、東北が大変なことになっていることを、報道で知りました。

でも、僕にとって衝撃だったのは、3月11日ではありません。
約2か月弱後のGW、もともと海外旅行に行く予定だったのですが、平日に仕事で外せない予定が入ってしまった上に、震災の影響でフライトも変更になってしまいました。

それで、経済支援も兼ねて(?)東北旅行することにしました。
内陸地を中心に旅したのですが、最後にどうしても被災地に行ってみたくなって、宮古と釜石に行ってみたんですよね。
衝撃を受けました。
こんな光景を、生きているうちに目の当たりにすることがあろうとは、思いませんでした。

宮古市

被災地域を歩いていると、がれきの中からアルバムが拾い出されて、乾かしている光景をよく目にしました。

人がすべてを失った時、何を残そうとするかというと、アルバム、つまりは自分の過去の記録なんですよね。
要するに、自分が生きてきた過程こそが、何よりも残すべきものだということです。

その時、僕は思いました。

「これまで、自分が生きてきた過程は、最も自分が残したいと思えるようなものだったんだろうか?」

それで、東京に戻ってから後も、再び被災地にボランティアに行ったりしていました。
ボランティアセンターでは、「ボランティアをやるために会社を辞めた」という人に会いました。
僕よりちょっと年下でした。

東京在住だったけど、放射能の子供への影響を恐れ、会社を辞めて、一家で九州に移住し、農業を始めたという方にも会いました。

僕自身、人生を考え直さなければ・・・という思いはあったけど、会社を辞めるには至らなかったし、いずれ、震災の話題が沈静化していていくにつれ、思いも薄くなっていきました。

でも、震災後の体験は僕の心の底に、澱のように留まり続けているんですよね。

作家の辺見庸が、地下鉄サリン事件に遭遇した時のことを書かれています。
人々が、通勤途中に良く分からない理由で、バタバタと倒れていく。
辺見庸は、倒れた人を助け起こそうとする。
でも、通勤途上の会社員たちは、倒れている人たちを跨いで、あくせくと会社に向かう。
辺見氏にとって、その光景が異様に見えたんだろうです。

たしかに、異様だと思います。

でも、僕がいま、地下鉄サリン事件に出くわしたら、おそらく凡百のサラリーマンと同じように、会社に遅刻しないように急いだと思います。
もちろん、倒れている人を助けたりはしないと思います。

震災が起こった直後、「すぐにでも被災地に支援に行きたい!」と思っても、会社に行く方を優先しなければならない。
おかしなことだとは思いますが、それにはやっぱり逆らえません。

もちろん、会社に行き、働きながら、間接的に被災地を支援する方法だってあります。

でも、その場で強く思っても、それをすぐに行動に起こせないことは、僕にとってはジレンマなんですよね。
被災地支援に限らずですが、そういうジレンマが、いまでも何かにつけて顔を出してくるんですよね。

それは、最初に被災地に入って、拾い出されたアルバムを見たときの気持ちとも繋がります。
将来、僕がどうしても残したい思い出ってなんだろう?

それを求めて、残りの人生を生きていきたいと思うのです。

この5年に関していうと、僕はまだ十分に変われていないなあ・・・と改めて恥じ入る次第です。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください